1988年5月11日 石嶺サヨナラホームラン 当時のスポーツニュース集

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  • Опубликовано: 2 фев 2025

Комментарии • 14

  • @ワールドワイワイ-m2h
    @ワールドワイワイ-m2h 4 года назад +10

    石嶺さんはホントに好きな選手でした!

  • @南薗健太
    @南薗健太 5 лет назад +11

    打球は雨に煙る西宮のライトラッキーゾーン…えーなー時代を感じさせる。

  • @インフィニットジャスティス

    当時のパ・リーグは観客数が一試合数千人代ても実力がいい。
    そんなパ・リーグが好きでした。

  • @sagaminojyumin
    @sagaminojyumin 4 года назад +9

    上田監督は打撃力はあるが守備の懸念もある石嶺をDH専念させたり強肩が売りな中嶋を正捕手に据えさせたりと先見性はあるな…

    • @田吾作Style
      @田吾作Style 11 месяцев назад

      外人は未知数、だったら石嶺、これでブレイク。
      (ちょっと話はズレるが)
      軸がブレずに駒のようなコンパクトな回転…石嶺和彦、
      低いグリップの位置…長崎慶一、
      宮﨑敏郎の打撃…石嶺和彦+長崎慶一…こんな感じだろうか?。

  • @重松知憲
    @重松知憲 4 года назад +2

    この年は、阪急南海にとっては最後の年。翌年阪急南海は、オリックスダイエーと名前を変え、平成パリーグの幕開けを迎える。この2球団が関西を代表するチームと言う事は、激動の昭和を象徴する証だった。

  • @ウエダマキ-x1r
    @ウエダマキ-x1r 4 года назад +2

    当時を知る者の端くれからすると、パ・リーグ野球観戦に恵まれた環境だったのに球場に足を運ばなかった。野球に飢えている土地に神様がさらっていったんやなと今ごろ思う。

  • @重松知憲
    @重松知憲 2 года назад +1

    不惑の大砲門田よ、永遠に………。

  • @ベイドラ-x2o
    @ベイドラ-x2o 20 дней назад

    お笑いコンビ・すゑひろがりずの三島さんが、ずっと誰かに似ていると思っていましたが、南海・西川投手を見て、似ている!と分かった次第です。

  • @大けちんぼ
    @大けちんぼ 3 года назад +1

    この試合南海・井上が打たれまくった挙句サヨナラ負けという、一見すると何もいいところ無し。ところが南海ピンチの場面で打者・ブーマーのところで敢えて井上を出し、ブーマーをインハイへのビーンボールでのけぞらせてピッチャーゴロに打ち取った場面があった。来日当初からブーマーに散々痛打を浴びてきた南海バッテリーがおそらく初めてまともに反撃に出た試合だったと思う。

  • @三好潤一-v5x
    @三好潤一-v5x 5 лет назад +2

    西宮球場 お客さん少ないなぁー😓

    • @大石裕章
      @大石裕章 4 года назад +3

      俺なんか、レフト側の外野席からオペラグラスを片手に、人の数を数えていました。でも、根気がなくなって途中で諦めてしまいました。

  • @黒岩頼介-q7o
    @黒岩頼介-q7o 4 года назад +1

    しかし見事なまでのガララーガだなあ。強くなった西武が関西行ってもガラガラだったもんなあ

  • @HEIBONNAONNA
    @HEIBONNAONNA 5 лет назад

    ガラガラやね。時代やね。